「的場」は入間川と小畔川に囲まれ、
古くは「三芳野の里」と呼ばれる景勝地であり、
三芳野という地名の発祥地と言われている。
この地で、縄文時代の土器が発見されており、
紀元前から先住民が暮らしていた事がうかがえる。


古墳時代(6世紀末から7世紀初頭)に築造された
「牛塚古墳」は的場古墳群の主墳で、
川越地方では最大の前方後円墳であり、
出土品の金銅製指輪は県内でも唯一で貴重な物である。


河越太郎重頼(生誕不詳~1185年)の時代から
的場は弓矢の訓練の場所として使われ、
北条氏の家臣大道寺政繁(1533年~1590)
の時代にも弓矢や鉄砲の的場として使われた。

徳川家康(1543~1616年)は、
この地で鷹狩りをしており、
小字名の「鷹休台」の名が残っている。

永禄2年(1559年)北条氏分現帳に
「的場」という地名が残されたのが最初である。




的場」という地名は「的破」・「魔突破」に
語呂が似ていることもあり、
目標に達する」、「的に当たる」などの曰くがある。