河越太郎重頼(生誕不詳~1185年)の時代から 的場は弓矢の訓練の場所として使われ、 北条氏の家臣大道寺政繁(1533年~1590) の時代にも弓矢や鉄砲の的場として使われた。
徳川家康(1543~1616年)は、 この地で鷹狩りをしており、 小字名の「鷹休台」の名が残っている。
永禄2年(1559年)北条氏分現帳に 「的場」という地名が残されたのが最初である。